「ブルックさん。お手紙が届いていますよ」
ジェニファーが庭掃除をしていると、郵便配達員が手紙を持って現れた。
「どうもありがとうございます」
受け取ると、配達員は「それでは」と言って笑顔で帰っていった。
「誰からかしら……?」
受け取った手紙は3通。
いつも宛先は叔父の名前ばかりで手紙が届く度に叔父はイライラし、「くそっ! また督促状か」と呟いていた。「督促状」と言うものが、何か分からないジェニファー。
字の読み書きは出来るものの、叔父家族は少女に満足な教育の場を与えてくれなかったので難しい単語は理解できなかったのだ。「また叔父様の機嫌が悪くなりそうね……」
ため息をついて手紙を改めると、1通はジェニファー宛になっている。
「え? 私宛の手紙……?」
今まで自分に手紙が一度も届いたことが無かったジェニファーは首を傾げた。
「一体誰からなのかしら?」
手紙を返してみると、差出人はセオドア・フォルクマンとなっていた。
「セオドア……フォルクマン……?」
ジェニファーは記憶を手繰ってみた。何処かで聞き覚えのある名前のような気がする。
「でも、手紙を読めば分かるわよね」
手紙を開封しようとした矢先。
「ジェニファー! こんなところで何をしているの? さっきから呼んでいたのが分からないの?」
背後で叔母のヒステリックな声が聞こえた。
「あ……ご、ごめんなさい。外で庭掃除をしていたもので……」
本能的に叔母の目から手紙を隠そうとエプロンのポケットに入れたものの、見つかってしまった。
「ちょっと、今ポケットに何を隠したの? もしかしてお金でも盗んだのじゃないでしょうね!?」
「そんな! お金なんて盗んだことありません!」
「だったら、今隠したものを見せてみなさいよ」
叔母は右手を広げて、ジェニファーの前に突き出した。
「はい……」
こうなると、もうジェニファーには逆らえない。震えながら、ポケットにしまった手紙を差し出す。
「何? 手紙? 何で隠すのよ」
サッと叔母は手紙を奪ってしまった。
「叔母様! その手紙を返して下さい! それは私宛なんです!」
「はぁ? あんた宛に手紙? そんな物来るはず……あら? 本当ね」
ジェニファー宛に届いた手紙ということに気付くと、叔母は勝手に開封してしまった。
「やめてください! 私の手紙なんです! 返して下さい!」
必死に訴えるジェニファーに叔母は怒鳴りつけた。
「うるさいわね! こっちはあんたの保護者なのよ! 保護者は何でも管理する権利があるのよ! ふ〜ん……どれどれ……」
叔母は手紙を読み始め……驚愕の表情を浮かべて、身体を震わせた。
「な、何ですって……」
手紙を取り上げられたジェニファーはハラハラしながらその様子を見守るしかなかった。
「ジェニファー!! あんた、フォルクマン伯爵家と親戚だったの!? 何でそんな重要なことを黙っているのよ!!」
ピシャッ!!
叔母の怒鳴り声と共に、平手打ちが飛んできた。
「キャッ!」
叩かれた勢いで、そのままジェニファーは地面に倒れ込む。
「こうしちゃいられないわ! 夫が帰ってきたら報告しなくちゃ!」
叔母はジェニファーの手紙を握りしめると、家の中に入っていく。
「叔母様! その手紙は私のです! お願い! 返して下さい!」
必死になって訴えるも、叔母は屋敷の中に入ると扉を閉めてしまった。
ガチャッ!
内鍵が掛けられる気配に気づき、ジェニファーは慌てて扉に駆け寄った。
「叔母様!? 開けて下さい!!」
『おだまり!! 薪割りを終わらせるまでは家の中には入れないからね! さっさとおやり!! 怠けたりしたら今夜は野宿してもらうわよ!』
「そ、そんな……」
まだ10歳のジェニファーにとって、薪割りは重労働だった。少女の両手のひらには豆が出来て、何箇所か潰れている。
「また薪割りなんて……」
ジェニファーの目に涙が浮かぶ。
けれど薪割りをしなければ、家に入れてもらえないのだ。煮炊きも出来ないし、暖を取ることも出来ない。「やるしかないのね……」
ジェニファーはエプロンを切り裂くと、手の平に巻き付けた。
そして薪小屋へ向かうと痛みを堪えて薪割りを始めた。カーンッ!
カーンッ!痛みと、悲しみの涙を流しながら――
「ジェニファー様はニコラス様のことをどこまで御存知ですか?」不意にシドが尋ねてきた。「え? どこまでと言われても……テイラー侯爵家の当主ということくらいしか分からないわ」「そうなのですか?」シドが少しだけ驚く。「え、ええ」何しろニコラスとは、まともな会話すらしていないのだから無理もない。「ニコラス様には義理の母親イボンヌ様と、現在25歳の腹違いの弟パトリック様がいらっしゃいます」「あ……」その名前に聞き覚えがあった。ニコラスが使用人達をホールに呼び集め、首を言い渡した時にモーリスが口にしていた名前だ。「イボンヌ様は、何としても次期当主をパトリック様に継がせようと躍起になっていました。そこで何度もニコラス様を暗殺しようとしてきたのです」「!!」その話にジェニファーは衝撃を受けた。「ニコラス様は、今まで何度も命の危機に晒されてきました。馬車に仕掛けをして事故に遭わせようとしたり、暗殺者に襲わせようとしたり……だから常に護衛騎士を周囲に置いていました。でもそれも3年前にニコラス様が当主に決まってからは、命を狙われることも無くなりました。それで本腰を入れて本格的にジェニー様の捜索を行い……ついに居所を掴んだのです」「そうだったの……?」ジェニファーは頷いた。(だからシドを護衛騎士として子供の頃から傍に置いていたのね。だけど、それがどうして私とジェニーの区別がつかなかったのかしら……)「ニコラス様は、過去に毒殺されかけたことがあり……ほんの僅かですが記憶障害を起こしてしまったのです。それがジェニファー様に関する記憶です」「え!? 」「ニコラス様はジェニファー様の声や瞳の色を忘れていました。それでも2人の思い出はしっかり記憶はしていたようです。ニコラス様はジェニー様を見た途端、かつて自分が探し続けていた相手だと信じて疑いませんでした。何しろ、あの方は子供時代のニコラス様との思い出を楽しそうに話していましたから。プレゼントしてもらったというブローチも見せてくれました」「……知っているのは当然よね。だって私、ニコラスと会ったその日の出来事は全てジェニーに報告していたから……写真だって渡しているし、ブローチも……」ジェニファーは寂しそうに呟く。「ですが、俺は初めて会った時から違和感を抱いていました。何故ならジェニー様は俺の方を一度も見るこ
「シドはニコラスの元を離れていたの? 護衛騎士だったのに?」ジェニファーは首を傾げる。「そうです。でもその前に、まずは15年前の話からさせてください」「ええ、お願い」シドは頷くと、話を始めた。「今向かっている『ボニート』は、ニコラス様のお母様の御実家があります。15年前、ある事情があってニコラス様は一時的にそこで暮らしていました」「ある事情って……?」「15年前『ソレイユ』地域では原因不明の伝染病が流行していました。テイラー侯爵家でも次々と使用人が感染していき、ついにはニコラス様のお父上も感染して倒れてしまいました。幸いニコラス様は無事でしたので感染を避けるために『ボニート』へ一時避難して頂いたのです。それで……」「私と出会ったのね?」「そうです。俺も感染していなかったので、ニコラス様の後を追うように『ボニート』へやってきました」ジェニファーは黙って話を聞いている。「ジェニファー様が姿を現さなかったあの日、ニコラス様は日が暮れるまで待ち合わせ場所で待っていました。俺はあの屋敷の近くまで様子を見に行ったのですが、訪ねることはできませんでした」「それは私が内緒で屋敷を出てきているからと嘘をついていたからよね?」ポツリとジェニファーは口にした。「はい。だから諦めて帰りました。その後も毎日毎日、ニコラス様はジェニファー様をあの場所で待ち続けました。今日こそは必ず来てくれるだろうと言って。俺がいくら止めても聞きませんでした」「そう……だったの?」シドの声は寂しげだった。「それから一か月後、感染病も治まってニコラス様と俺はテイラー侯爵家に呼び戻されました。ニコラス様は侯爵家に戻る前日までジェニファー様を待っていました」「!」その言葉に息を飲むジェニファー。まさか、そこまでニコラスが自分のことを待っていたとは思わなかったのだ。「侯爵家に戻ったニコラス様は、ジェニファー様の行方をずっと捜しておりました。そして、3年程前にようやくジェニー・フォルクマン令嬢を捜しあてたのです」「12年もジェニーを捜すのに時間がかかったの?」「はい、そうです。中々ジェニー様を発見することが出来なかったのは、彼女が公の場に殆ど姿を現さなかったからでした。ニコラス様はフォルクマン伯爵家に手紙を出すと、ジェニー様から是非、会いたいと返信がありました。そこで2人で
「シド……」「お願いします、ジェニファー様」あまりにも真剣に頼んでくるシド。これ以上秘密にしておくわけにはいかなかった……というよりも、誰かに話を聞いてもらいたかった。「分かったわ……全て話すわ。でも、お願い。今からする話は、絶対に秘密にしてくれる。ニコラスには言わないと約束して欲しいの」「分かりました。こちらもジェニファー様が話したくないを内容を無理に聞き出そうとしているのです。絶対にニコラス様には言わないと誓います」シドは頷く。「実は……」ジェニファーは重い口を開いて話を始めた。15年前、どのような経緯で『ボニート』へ来たのか。何故ニコラスやシドの前でジェニーと名乗っていたか。そして、突然姿を消してしまった理由を……。****――16時半「そ、そんな事情があったのですか……?」ジェニファーから話を聞き終えたシドの顔には驚きの表情が浮かんでいる。「ええ。あの日、いつも以上にジェニーの喘息が酷かったわ。何を言われようとも、町に行かなければジェニーは命の危険に晒されることも無かったし、フォルクマン伯爵の信頼を失って憎まれることも無かったわ……。それに、ニコラスや貴方の前から突然いなくならなくて済んだかもしれないのに……全て私がいけなかったのよ」今でもフォルクマン伯爵家を追い出されときのことを思い出すと辛くてたまらない。涙が枯れるほどに泣き崩れたあの日。あれほど優しかった伯爵の激昂した姿、親切だった使用人達から向けられる冷たい眼差しが今も忘れられない。すると――「何を仰っているのですか!? ジェニファー様は何一つ悪くないではありませんか!」突如、シドが感情を顕にした。「え?」今まで冷静だったシドの姿しか見たことが無かったジェニファーには驚きだった。「ジェニファー様を追い詰めたのはジェニー様です。自分のフリをするように命じたのも、町へ行くことを拒んだジェニファー様を無理に行かせたのも全てジェニー様が自分で撒いた種ではありませんか。むしろ被害者はジェニファー様の方です」だが、ジェニファーは首を振る。「シド、ジェニーを悪く言わないで……私は元々ジェニーのお世話をするためにフォルクマン伯爵家の別荘へ呼ばれたの。そのためのお金だって貰ったわ。病弱で外に出ることも出来ない彼女を置いて、ニコラスと楽しい時間を過ごしたのは事実なのよ。本当
ベビーカーにジョナサンを乗せ、3人は何件もの洋品店を回った。シドとポリーはジェニファーに似合いそうな服を何着も試着させ、サイズが合えば全て購入した。その他に靴やバッグ等様々な小物類を買いそろえた。そして最小限の品だけを手荷物として汽車に持ち込み、残りは全て郵送することにしたのだった――――15時 3人は『ボニート』行きの汽車に乗っていた。「1等車両って本当にすごいのですね……。まさか汽車の中に、お部屋があるとは思いもしませんでした」ポリーが感心した様子で車内を見渡している。この部屋は長椅子以外に、2台のソファ。そして上下2段のベッドにクローゼットが置かれていた。「そうね」ジェニファーは相槌を打ちながら、長椅子の上で眠っているジョナサンの頭をそっと撫でた。(一等車両に乗るのはフォルクマン伯爵と一緒に『ボニート』へ行って以来だけど、ポリーには言えるはず無いものね……)そこへシドが声をかけてきた。「ジェニファー様。お疲れではありませんか? 個室を2部屋確保しているので、少し休まれてはどうですか?」「私なら大丈夫よ。まだ休まなくて平気だから」子供の頃から働き詰めだったジェニファーは体力には自信があったのだ。するとポリーが遠慮がちに口を開いた。「あ、あの……それでは申し訳ございませんが、私が休ませていただいてもよろしいでしょうか? 実は、初めての汽車の旅で少し疲れてしまって……」ポリーの表情には疲れが滲んでいる。「まぁ、そうだったの? 気付かなくてごめんなさい、ポリー。私のことは気にせずに、ゆっくり休んでちょうだい」「それなら、隣の個室を使うといい。俺は少しジェニファー様と話があるから」「ありがとうございます。ジェニファー様、シドさん。それではお言葉に甘えて休ませていただきます」ジェニファーとシドの気遣いにポリーは会釈すると、部屋を後にした。――パタン個室の扉が閉じられると、ジェニファーは早速先程から思っていたことを口にした。「シド、私……あんなに沢山の服を買っても良かったのかしら。何だかニコラスに申し訳ないわ。また無駄になってしまう可能性もあるのに」15年前のことを思い出し、ジェニファーはポツリと呟いた。初めはとても優しかったフォルクマン伯爵。あのとき沢山服やドレスをプレゼントされたが、屋敷から追い出された際に全て置いてき
ろくにニコラスと挨拶を交わすこともないまま、慌ただしくテイラー侯爵家を後にすることになったジェニファーたち。既に迎えに来ていたのはとても豪華な馬車だった。ジョナサンを抱いて乗り込んだジェニファーはすぐに馬車の中を見渡した。豪華な内装は目を引くばかりだ。(そういえば、フォルクマン伯爵と一緒に乗った馬車もこれくらい立派だったわね)「素敵な馬車だわ……内装も立派だし、座り心地も良いわ」ジェニファーがふと15年前のことを思い出して、口にするとシドが驚きの表情を浮かべる。「それは一体どういうことですか? ジェニファー様は、この屋敷までどのようにしていらしたのです?」「ニコラスから小切手が送られてきたので、自分で汽車に乗って辻馬車を拾って来たのよ」けれど叔母のアンに小切手を全て奪われてしまい、旅費が足りなくなって辻馬車代を出してもらったことは流石に恥ずかしくて言えなかった。するとポリーが目を見開く。「え!? ジェニファー様は、たったお一人で侯爵家まで来られたのですか!?」「え、ええ……そうよ」恥ずかしそうに俯くジェニファーをシドは、自身の膝を強く握りしめながら話を聞いていた。(ニコラス様は何故そんな仕打ちをジェニファー様にしたのだろう? ジェニファー様と突然連絡が途絶えてしまったとき、あれほど必死になって捜していたのに……! もし、今冷遇しているジェニファー様が自分の捜していた相手だと知ればニコラス様はどう思われるのだろう?)けれどジェニファー本人からニコラスには言わないで欲しいと口止めされている以上、シドからはどうすることも出来なかった。シドはポリーと楽しげに話をしているジェニファーを見つめる。貧しい身なりは、とてもではないが候爵夫人には見えなかったが、ジェニファーの美しさは損なわれることは無かった。ジェニーとシドは殆ど交流したことは無かったが、顔を合わせたことは何度かある。2人は驚くほど良く似ていたが、それでもシドにとってはジェニファーの方が美しく見えた。(駅に到着したら汽車に乗り込む前に、まずはジェニファー様の身なりを整えなくては……)揺れる馬車の中で、シドは色々と思い巡らせるのだった――**** 馬車はドレイク王国の首都、『ソレイユ』に到着した。ジョナサンは馬車の揺れが気持ちよかったのか、ベビーカーの中でスヤスヤと気持ちよ
シドが書斎に戻ってみると、ニコラスは既に出立の準備が終わっていた。「ニコラス様、ジェニファー様に『ボニート』へ行くことを伝えてきました。もう準備を始めていると思います」「そうか、ご苦労だった」「では、私も荷物の準備をしてまいります」シドが書斎を出て行こうとすると、ニコラスが引き留めた。「待て、シド」「はい。何でしょう」「お前は視察について来なくていい。代わりにジェニファーと一緒に『ボニート』へ行ってくれ。他の護衛騎士達を連れていく事にする」「え……? ですが……」「ジェニファーとジョナサンには他の護衛騎士をつけようと思っていたが……お前が彼女を任せるのに一番信頼出来そうだからな。それにシドはあの地域に詳しいだろう? 何しろ少年時代を一緒に過ごした仲なのだから」「ニコラス様……よろしいのですか?」本当のことを言うと、ジェニファーから詳しく話を聞いてみたいと考えていたところだったので、シドにとっては好ましい提案だった。「ああ、俺が戻るまでの間ジョナサンとジェニファーを頼む。向こうの屋敷には既に連絡はしてあるからな」「はい、ニコラス様」「この小切手をジェニファーに自由に使うようにと言って渡しておいてくれ。後のことを頼む」ニコラスはそれだけ言うと、シドを残して書斎を出て行った――****「ジェニファー様。本当にお荷物はこれだけでよろしいのでしょうか?」ポリーはジェニファーが用意した、たった2つだけのボストンバックを見て首を傾げる。「ええ、そうなの。……少なくて恥ずかしいけど」ジェニファーは眠っているジョナサンを抱きながら顔を赤らめる。その姿にポリーは思った。(確かにジェニファー様の着ている服は、とてもではないけれど侯爵夫人がお召になるような服とは思えないわ……ジェニファー様に充てがわれる予算は無いのかしら……?)――そのとき。開かれていた扉からシドが姿を見せた。「ジェニファー様」「あ、シド。どうしたの?」「お部屋の扉が開いていたので、声をかけさせていただいたのですが……中に入ってもよろしいでしょうか?」「ええ、どうぞ」「失礼いたします」ジェニファーに促され、シドは部屋に入ってきた。「ジェニファー様。俺が一緒に『ボニータ』へ付き添うことになりましたので、よろしくお願いします」護衛と言えば不安な気持ちにさせてしま